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〜包括ケアから包摂ケアへの転換期〜 (令和5年11月) |
朝夕はめきり冷え込むようになりましたが、地域の皆さま及び関係者各位におかれましては、日頃のご協力に感謝申し上げます。 岸田首相所信表明演説で、「まず変化の流れを絶対に逃がさない、つかみ取るの一点です」と述べられています。更に、「今後も物価高をはじめ国民が直面する課題に先送りせず、必ず答えを出す、との不撓不屈の覚悟をもって取り組みます。また、明治維新、戦後復興、高度成長と国の大きな時代の変化の流れを国民の「力」に変え、歴史に残る社会変革を実現してきたように、今まさに、再び歴史的な転換点に立っているため、100年後に後世から評価されるよう、挑戦していく。」とありました。続いて、人口減少の下でも、子育て、教育、介護などの分野でのデジタル技術の活用を、利用者起点で進めると説明しています。次に「包摂的な社会づくり」として、障害のある方もない方も含めて、全ての方が生きがいを感じられ、多様性が尊重される、包摂的な社会づくりを目指されています。 そこで言語的に、「包摂」とは、ある概念をより一般的な概念の中に取り入れることです。一方「包括」とは、全部をひっくるめて一つにまとめることであり、少し意味あいが異なります。今後は、包括的ケアから包摂的ケア、共生社会の方向に向かっていくことの宣言のように読み取れました。 子ども、障がい者、高齢者を全部まとめて包括的ケアとするより、子ども分野の概念を高齢者ケアの中に取り入れたり、高齢者ケアの概念を子どもの概念に取り入れたりする考えでしくみが構築されていくのかもしれません。 アインシュタインは「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである」との警句を残されています。今年夏の甲子園で優勝した慶応高校は、高校野球の常識を覆す目的に向けて頑張ってきたと言われます。エンジョイ・ベースボールです。野球は上から押し付けるものではなく、練習では全てを教えず「余白」を残し、指示待ちにせず選手たちで話し合いながら次の戦略作戦を臨機応援に立てる。その裏ではデータを収集し、監督からの余白を埋める作業を続けるやり方だそうです。 法人の未来図を描くにあたり、ひとつの概念にまとめあげる包括的福祉経営から、児童、障害者、高齢と、それぞれの特徴を取り入れながらの包摂的福祉経営の考えが必要なのかもしれません。 令和5年11月1日 理事長 山口浩志 |